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甲府地方裁判所 昭和30年(ヨ)49号 判決

申請人 林貞夫

被申請人 株式会社ニシキ自動車商会 外一名

主文

被申請会社は、申請人が提起する防音壁設置請求事件の本案判決確定に至る迄甲府市錦町八番地所在家屋番号同町八番の二木造杉皮葺(現況トタン葺)平家建工場一棟建坪六十坪の北側外壁中東より四間の距離に在る間口一間高さ一間の出入口及び右出入口の向つて左の端より一間の距離に在る間口一間高さ一尺三寸の窓並びに右出入口の向つて右の端より西に在る間口一間高さ一尺三寸の窓を常時開放してはならない。

申請人の委任する執行吏は適当の方法を以て右仮処分の趣旨を右出入口の内外に公示せよ。

申請人の被申請人望月健一に対する仮処分申請は之を却下する。

申請費用は被申請会社の負担とする。

事実

申請人代理人は、被申請人等は申請人が追つて提起する防音壁設置請求事件の本案判決確定に至る迄甲府市錦町八番地所在家屋番号同町八番の二木造杉皮葺(現況トタン葺)平家建工場一棟建坪六拾坪の北側外壁中東より四間の距離にある間口一間高さ一間の出入口及び右出入口の向つて左の端より一間の距離にある間口一間高さ一尺三寸の窓並びに右出入口の向つて右端より西に在る間口一間高さ一尺三寸の窓を開いてはならない。申請人の委任する甲府地方裁判所執行吏は右個所の占有を解きその保管に移し右箇所を閉鎖せよ。なる趣旨の仮処分を求めると申立てその申請の理由として申請人は大正十五年中亡中込六之助より同人所有の甲府市錦町十番地所在の土地建物を賃借し法律事務に従事していたところ右建物は昭和二十年七月六日の戦災により焼失したので翌昭和二十一年六之助の相続人である中込英次より右土地の内約五十坪を賃借しその上に木造瓦葺二階建事務所兼居宅一棟建坪約二十坪を建築所有し弁護士として法律並びに税務事務に従事しているものである。被申請人望月健一は昭和二十一年中右中込英次より申請人所有の前掲建物より幅員六尺の通路を以て隔てた同町八番地の宅地を住宅建設の目的を以て賃借したが、昭和二十二年四月地主に無断で右地上に木造杉皮葺(現況トタン葺)平家建工場一棟建坪六十坪を建設し、同申請人が取締役社長をしている被申請会社のため自動車ボデー製作工場として右建物を使用せしめている。而して被申請会社は右工場内に三馬力二台、二馬力二台、一馬力二台、半馬力三台以上合計十三馬力半の電動機、送風機一台、木削機三台、バンド鋸二台、磨鉄機一台及び鎔接機一台を設置し数十名の工員を使用して毎日午前八時より午後八時頃迄操業に従事している。しかるところ被申請会社は右機械等の使用により発する音響を防止すべき何等の設備をもしていないので右諸機械より発する強度の驕音は喧騒を極め之がために申請人、その家族事務員及び依頼者等は(イ)電話、ラジオ、用談等が完全に聴き取れない。(ロ)子弟の勉学、家族の休息安眠を妨げられる。(ハ)業務上安静度を破壊される。(ニ)神経を過度に刺激して心身を衰弱せしめる。等有形無形の各方面において日常絶えずその生活を侵害されており被申請人等は申請人及び近隣居住者の人権擁護申立に基き昭和二十八年四月二十三日甲府地方法務局長より工場北側に完全な防音壁を設置すべき旨の勧告を受けたに拘らず依然としてその措置を採らない。思うに被申請会社は事業の主体として又被申請人望月健一は工場建物の所有者として前掲事業の執行に当つては自己の企業の利益のみを計らず北隣居住者の日常生活を害しないよう注意してその設備をなすべきところ之をなさず申請人に対し日常生活及び業務につき日々前記の如き侵害を与え且つ申請人の建物所有を妨害しているのであつて権利濫用の甚しきものがある。仍て申請人は緊急の必要性があるので追つて被申請人等を被告として提起すべき防音壁設置請求事件の本案判決確定に至る迄申請の趣旨記載の如き仮処分を求めると陳述した。〈立証省略〉

被申請人等代理人は本件仮処分申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする旨の判決を求め答弁として申請人がその主張の場所において弁護士として法律並びに税務事務に従事していること被申請人望月健一が昭和二十一年中中込英次から申請人主張の如き土地を賃借しその地上に建物を建築所有していること。右被申請人が取締役社長である被申請会社が右工場に申請人主張の如き電動機及び機械類を設置し工員数十名を使用して自動車ボデーの製作に従事していること及び被申請人等が申請人主張の日に甲府地方法務局長より書面による勧告を受けたことはいずれも認めるが申請人がその主張のような経過によりその主張の如き建物を所有していることは不知その余の申請人主張事実は総て否認する。被申請人健一は住宅建築のためのみでなくその営業用の建物(工場)建築のために使用する目的を以て借地したのであつて決して地主に無断で工場を建設したものではない。又被申請会社が作業する時間は毎日午前八時より午後五時迄を普通とし特別の場合に午後七時に及ぶことがあるだけである。被申請人等が甲府地方法務局長より受けた騒音防止に関する勧告は決して申請人主張のような工場の北側に完全な防音壁を設置すべき趣旨のものではなくその防音措置として例えば(一)工場北側に備付けてある木削機二基を同工場南側のバンド鋸所在の附近に移動すること。(二)工場北側の道路(六尺幅道路)を隔てて居住する申請人林貞夫、申請外笠井猛、房前智光等の居宅近接部分の工場板壁及び工場北側に接続している申請外窪田長吉、同井上七郎、同望月広吉等の居宅との境界に当る工場板壁を各相当の厚みを有するものに改造して、防音の措置を講ずることが良策である旨の勧告であつた。そこで被申請人等は右勧告に従いその直後(一)木削機を工場南側のバンド鋸所在の附近に移動し(二)北側の申請人等居宅に近接する側の工場板壁(厚さ二寸)に更に土壁を附加して厚さ約五寸の壁として防音措置を講ずるとともに(三)別に工場屋根に東西に長さ五間幅六尺の音響及び塵埃抜けの穴を設け防音等のためでき得る限りの措置を講じた。右の如くに被申請人等は工場及び機械類の施設管理をなして来たものであるから申請人の迷惑もその生活を脅かす程度のものではない。而して申請人は被申請人等の権利濫用を主張しているが被申請人等の工場における騒音は主として木削機等の機械類の発する音嚮及び作業上発する音嚮等であるから家屋及びその他の工作物の発する騒音ではなく之等家屋及び工作物の所有権の濫用でないことは明かであり、又機械等及び作業に伴う音嚮の防止は必ずしも家屋工作物の防音措置殊に本件仮処分申請の目的物たる壁に対する或種の措置にのみ俟つべきものではない点から考えても所有権の濫用とは謂い難い。又申請人は侵害された権利は申請人の基本的人権に基く生活権であると謂うが具体的に如何なる私法上の権利であるか身体生命に関する権利であるか財産権であるか不明である。更に申請人は防音のため板壁の窓及び出入口の閉鎖を求めているが前述のとおり本件騒音は家屋及び工作物以外の機械類等の発するものであり之を防止するか消音するかは申請人が求める方法のみを以て相当且つ唯一の方法にすべきではない。殊に右板壁(土壁を施してある)の出入口及び二個の窓口は被申請人工場の工員等五十名の工場災害等の際における生命自体の救急のための非常口として設けたものであり、工場正面入口に遠い場所で作業する工員の生命身体の救急はかゝつてこの入口に存するのであつて若し之を閉鎖するなどの処分があれば工員五十名の生命は危険に曝され、遂に工場の作業工場事業は閉鎖の已むなきに至るべく斯るときは工員五十名は生活の方途を失いその家族約二百五十名の生活の資は絶たれるに至る虞がありその損害は実に測り知れぬものがある。まして被申請人等の事業は国の重要産業であり又県下唯一の自動車製造工場であつて生産額一億一千三十三万六千円県外移出五千三百五十五万円(昭和二十九年度調)に及ぶ生産をなし本県のため産業上及び陸上運送面上貢献している次第であるから右出入口及窓の閉鎖により蒙るべき損害はこの見地からしても亦実に多大である、故に本件工場の出入口及び窓の閉鎖は工員の生活権を奪い本県産業上にも重大な損害を生ずる結果を招き不相当且不当のものであると信ずるので本件仮処分の申請は却下せらるべきものであると述べた。〈立証省略〉

理由

申請人が甲府市錦町十番地に建物を所有し弁護士として法律並びに税務事務に従事していること、被申請人望月健一が右建物より幅員六尺の通路をもつて隔てられた同町八番地上に木造杉皮葺(現況トタン葺)平家建工場一棟建坪六十坪を所有し、右被申請人を取締役社長とする被申請会社が右建物を自動車ボデー製作工場として使用し右工場内に三馬力二台、二馬力二台、一馬力二台半馬力三台合計十三馬力半の電動機、送風機一台、木削機三台、バンド鋸二台、磨鉄機一台及び鎔接機一台を各設置し数十名の工員を使用して操業していることは当事者間に争がない。而して成立に争のない疏甲第一号証、同第七号証の一乃至五、証人土橋清丸申請人本人の各供述並びに検証の結果によれば申請人は甲府市錦町十番地所在の宅地上に木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅一棟建坪九坪五合、木造瓦葺平家建事務所一棟建坪五坪八合二勺及び木造瓦葺二階建事務所一棟建坪十一坪五合(二階十二坪五合)を所有し右建物を弁護士及び計理士の事務所とし且つ申請人夫婦母親通学中の男子一人計四名の住居として使用しているものであるが、その前方幅員六尺の通路を隔てて存在する前掲被申請会社の自動車ボデー製作工場内における作業より発する各種機械音木材鉄板等を打叩く音等の交錯する騒音及びその震動のため来客との会話を妨げられ電話、ラジオは聴き取れず勉学もできず又病気の際の静養夏期における午睡を妨げられる等その業務並びに家庭生活の平隠を著しく脅かされそれがため家人は総て精神的苦痛を感じており特に右工場北側に在る主文第一項掲記の出入口及び窓を開放することによりその音嚮は甚しく且つ鋸屑等の塵埃が飛散するため申請人方は夏期においてすら同工場に面する窓等は常時閉鎖しておかねばならぬ程の状況に在ることが疏明せられる。もつとも証人望月堅盛並びに被申請会社代表者兼被申請人本人望月健一の各供述によると被申請会社においては申請人等の人権擁護申立によつてなされた昭和二十八年四月十三日附甲府地方法務局長の勧告に基き従前板であつた同工場北側の壁を土壁とし或は工場の上部に音嚮及塵埃抜けの窓を設け又一部機械の位置を変更する等の方法を講じている事実が疏明せられるけれども右程度の措置がなされた事実だけでは未だ前掲疏明を否定し去るわけにはいかない。

思うに特に工場の設置が禁止せられていない地域において工場を設けその業務に必要な諸機械を設備して操業しそれに伴う音嚮震動等を発することがあつても通常の場合それは各人の自由に許されるものと謂えよう。しかしその音嚮震動が他人に害悪を及ぼしそれが社会観念上被害者において忍受できないと一般に認められる程度に達した場合には加害の目的の有無に拘らず正当な権利行使の範囲を超脱するものとしてもはや許されないものと解しなければならない。本件における被申請会社工場の存在する地域が工場の設置を禁止せられた場所であることの疏明は存在しないけれども検証の結果によると右工場の存在する場所は甲府市のほゞ中央部に在つてその附近には官庁商店住宅等が軒並に存在し、同工場は表通りに面し普通住宅に隣接して建てられたもので工場として粗末な建物であるに拘らずその事業の性質上極めて高音を発する機械並びに作業を必要とするものであつて申請人方に面する工場北側の壁は厚さ二寸五分の土壁の内部に厚さ三分の板が張られた程度のもので尠くとも北側に在る主文第一項掲記の出入口及窓を開放した場合においてはその騒音震動、鋸屑等の飛抹は特に客の応接沈思黙考を必要とする弁護士の業務或は家庭生活の享楽に著しい悪影響を及ぼしそれが毎日の連続はもはや一般的に見て申請人の忍受の限界を超える程度に達していることが疏明せられる。斯のような場合被申請会社としてはすべからく二重の障壁を設けるとかその他特別の考案を以て防音の設備を施し申請人方に対する影響を最少限度に止むべきであるに拘らず斯る措置に出ることなく操業を継続することはとりも直さず正当な権利行使の範囲を越脱して申請人の建物所有を侵害しているものと解することができるから申請人が本件仮処分によつて保全せんとする権利並びにその必要性は一応疏明せられたものといわなければならない。

しかし証人望月堅盛、被申請会社代表者兼被申請人本人望月健一の各供述によると前掲出入口は工場災害等の際における非常口として設けられているものであり、又窓は工場内の換気上必要がありこれ等を完全に閉鎖することは約五十名に及ぶ工員の生命身体の安全を脅かす結果を来す虞れのあることが疏明せられるので仮処分の方法としては主文第一、二項掲記の程度を以て相当と考える。

次に被申請人望月健一に対する本件仮処分申請は単に同人が前掲建物を所有するという事実だけでは被保全請求権の存在が疏明せられないからその理由がない。

仍て申請費用の負担につき民事訴訟法第九十五条第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 杉山孝)

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